展覧会

 

Exhibition

【開催趣旨】

 小松均(1902~1989)は、山形に生まれ、大正9年(1920)に画家を志して上京、川端画学校で絵を学びます。その4年後、土田麦僊ら京都の若手画家たちが主催する美術団体・国画創作協会(国展)の第四回展に入選した後は、麦僊を訪ねてその門下生となって創作を行いました。早くから水墨画に興味を持った小松の、力強い墨線による独特の描法はある種の土俗的な魅力をたたえるもので、同時代の美術界において異色の存在感を放ち、国展や帝国美術院展覧会(帝展)、日本美術院展(院展)などの重要な展覧会で入選を重ねました。

 戦後、京都・大原に転居してからは自給自足の生活をしながら作画活動を続け、世俗とは無縁の暮らしぶりと、白髭を蓄えた独特の風貌から「大原の画仙」とも呼ばれました。特に、終生の住まいとした大原や、故郷山形を流れる最上川、しばしば関東に長期滞在して作画に及んだ富士山などの風景を描いた大作は高く評価され、昭和61年(1986)には、文化功労者として表彰されています。その飽くことのない画業の追求は最晩年まで止むことなく、平成元年(1989)、87歳で没するまで、制作活動は続きました。

 今回の展覧会では、小松の生誕120年を記念して、自らの理想郷として愛した大原の風物を描いた《牛と大原女》や、その芸術の真骨頂である風景画のひとつ《伊豆岩山風景》、花や女性を描く50点を超える版画作品などからなる、海の見える杜美術館が所蔵する小松均作品を一堂にご紹介いたします。真摯に自然と、そして自らの芸術に向かい合った小松作品の魅力の一端を、どうぞご堪能ください。

チラシダウンロードはこちら

【会  期】 3月20日(土)〜5月9日(日)

【休 館 日】 月曜日(ただし5月3日(祝)は開館)、5月7日(金)

【主  催】 海の見える杜美術館

【後  援】 広島県教育委員会、廿日市市教育委員会

【開館時間】 10:00~17:00(入館は16:30まで)

【入 館 料】 一般1,000円 高大生500円 中学生以下無料

【イベント】

 ■当館学芸員によるギャラリトーク

  日 時=4月3日(土)、5月1日(土) 13:30〜(45分程度)

  会 場=海の見える杜美術館 展示室

  参加費=無料(ただし、入館料が必要です)

  事前申し込み=不要

 

 ■当館学芸員によるミニレクチャー

  日 時=4月17日(土) 13:30〜(60分程度)

  会 場=海の見える杜美術館 講座室

  参加費=無料(ただし、入館料が必要です)

  参加人数=5名程度

  事前申し込み=不要

 

 *新型コロナウイルス感染拡大防止のため、中止または開催内容に変更がある可能性がございます。

 その際はホームページでお知らせいたします。

 

- 展覧会の構成と主な出品作品 -

第1章 人々の生を描く—人物画の魅力

Chapter One Portraying Life: The Allure of Komatsu's Figure Paintings

 小松の画業は壮年を超えてからの風景画によって評価されることが多いのですが、画業の初期から壮年にかけては、ここでご紹介するような、人物、あるいは人事を主題にした絵画を多く描いています。まだ二十歳前後の小松は中国通俗小説に夢中になり、たびたび絵の主題としてとりあげました。三十代中頃になって描いたNo.4《日月図》は暴政で知られる隋の煬帝の生涯を描いたもので、若き日の小松が人間の情念や数奇な命運に関心を寄せていたことを示しています。一方、No.1《牛と大原女》や、大原をいわば胸中の風景として描いたNo.2《四季山水図》に見られるように、終生の住まいとして愛した大原と、そこに暮らす人々へのまなざしは暖かく、かつ急激に近代化を遂げる現実とはまた別の、小松にとっての理想郷での人のありようが投影されているようです。

小松均 《牛と大原女》 昭和19年(1944)頃

小松均 《日月図》 昭和15・16年(1940・41)頃

第2章 自然の魂を写す—小松芸術の神髄としての風景画

Chapter Two Capturing the Heart of Nature: Komatsu's Quintessential Landscapes

 小松の代表作といえば、六十歳代以降にてがけた故郷の最上川や、終生の住まいとして愛した大原の景色、雄大な富士山の景観を描いた大作の風景画が良く知られます。いずれも時に土俗的と表現される力強い独特の墨線を執拗に重ねて、自然の真の姿を写し取ろうとしたものです。当館の所蔵する小松の風景画の画巻二点は、その独自の風景画にいたる以前、昭和15年(1940)、三十八歳の時に制作されています。この時期小松は南画家たちとの交流の中で墨を用いた風景画への傾倒を示し始めており、いわば小松の画業の転換期に制作された貴重な作例です。どちらも縦65センチ、長さは8 メートルを越える圧巻の画面。色をつかって雄大な広がりを見せる伊豆の海と岬を描いた《石廊崎》と、対して墨一色で湿潤な空気の中に聳える岩山を描いた《伊豆岩山風景》。伊豆の自然が持つ異なった表情の描き分けが見事です。

小松均 《石廊崎》 昭和15年(1940)

小松均 《伊豆岩山風景》 昭和15年(1940)

第3章 墨と線の力—墨書の楽しみ

Chapter Three The Power of Ink and Lines: Komatsu's Playful Ink Works

 

 小松芸術の持つ力の源泉は、その墨の線にあるといって過言ではないでしょう。墨と線に対する小松のこだわりと熱意は絵を描くことにとどまらず、書にも注がれました。自らの画集を刊行する際にはその題字を記し、あるいは作品に関わるエピソードを述べた文章を手書きして掲載するなど、書にもその造形の力を発揮しています。また、曹洞宗の寺の息子として生まれ、画家として自然を描く際にはそこに宗教的な霊感を見いだし、あるいは戦時中に繰り返し不動尊を描くなど、小松は生涯にわたり仏教を中心とした宗教的な思想に深く惹かれました。《南無》などの書からは、小松がいかに墨と仏教思想に親しんだでいたかを伺わせます。

小松均 《酒中富士図》 昭和時代

小松均 《龍》 昭和時代

第4章 墨色と色彩と—版画に見る小松の画業

Chapter Four  Ink and Color: The Craft of Komatsu's Copperplate Prints

 

 当館が所蔵する小松均作品約70点のうち、50点ほどが版画作品です。昭和40年代、小松均は銅版画の作成に没頭し、昭和51、52年(1976、77)には展覧会でこれらを発表しています。版画の線の研究のために浮世絵の模写を行うなど、小松の絵画表現に対する一途な追求は版画制作に関しても緩められることはありませんでした。他の作品と同様、線へのこだわりが込められた版画は力強く、それと同時に、黒一色の画面にほどこされたクレヨンや筆彩による色彩は、パステルカラーの明るい色調が目に鮮やかで印象的です。大原女の少女や、富士山、鯉や蓮など、小松均は、版画によって往年の代表作に繰り返し用いた主題に取り組んでいます。

小松均《白富士》 昭和52年(1977)頃

小松均《舞妓(花火)》 昭和52年(1977)頃